日記2000年10〜12月

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2000年12月31日 「20世紀」
 もう20世紀もあと1時間と少し、「21エモン」の世界がやってきます。21世紀というとなんだか空中にチューブの道路が駆け巡り、車は勿論エアカー。ロボットが人間のパートナーとなっていて電話はTV電話。という世界を想像していたんですけどねえ。こんな21世紀像は戦後民主主義の成長幻想(日本もしくは先進国の経済と技術が発展しつづけていくといった想像)の産物といった側面もあるのかとは思うのだけれど、やはり現代日本人の夢が仮託されていたのでしょうね。ロボットやTV電話といった概念は、近代科学技術の精粋を易しいインターフェースとして具現化されてつつある状況であり、そんな夢が実現化されているのだなあとも実感させられます。
 しかし楽天的な21世紀像を持っていたのは私だけではないかとは思いますが、明日から21世紀という日を迎えて、世界も日本もそして更に小さい小さい存在である私個人も、20世紀の負の遺産を21世紀に持ち越してしまうのが現実なのだなあと、新聞紙面を見るにつけ、振り返り自分の部屋の惨状を見るにつけ痛感してしまいます。
 ところで「20世紀の…」系の企画をしようかとも思ったのですが、あまりに余裕がなかったので出来ませんでした。新世紀に入ってからゆっくり考えたいと思います。何かいいアイデアがあったら教えて下さい。
 それでは皆さんよいお年を!20世紀はどうもありがとう!そして21世紀をよりよい時代にしていきましょう!

2000年12月21日 「やれやれ」
 知ってる人は知ってると思いますが、若年寄の懸案が取り合えずは終了しました。これもひとえに多くの応援をしてくださった皆様のお力添えによるものと、心から感謝感謝です。それと1ヶ月も更新しないホームページにアクセスして頂いた方、ホントに申し訳ありませんでした。これからもどうぞごひいきにお願い致します。

2000年12月8日 「この日は…」
 今日はジョン=レノンが暗殺されて20回目の命日、20という節目もあってか結構あちこちでビートルズやジョンの曲がかかり、CD発売や博物館やイベントが目白押しだ。忙しいのに一段落したらさいたま新都心のジョン=レノンミュージアムには行ってみたい。今日のところは「ウーマン」や「スターティングオーヴァー」でも聞いて寝よ。
 来年の今日は日米開戦60周年です。日本とアメリカとが戦争した事が風化している事は悲しい事です。日本とアメリカが戦争した事を有意義に振り返るそして多くの関心を呼び戻す機会が、今年のジョンの20周忌のように沢山あればいいですね。

2000年11月18日 「オレがやったらタコ踊りになっちゃうよ〜」
 「企業の扉」、CX 土曜26時45分〜55分 司会 池上季実子
 最近の深夜の中で一番面白い。フジテレビのサイトから番組紹介には
 「ハイテク先進国ニッポンの企業をつぶさに観察してみると…小さなモノから大きなモノまで、あるいは実用的なモノから非実用的なモノまで実に多種多様な企業がまさに百花繚乱のモノ達を世に送り出しています。この番組ではそういった様々な企業の中からあえてあんまり人に知られていないような、しかし”その道”では評価を得ている、超!マニアックな企業に視点を置き、企業内容を紹介しつつ、その社長さんの素顔に迫っていこうというものです。
ずばり番組のねらいは!
今、輝いている企業限定!“企業最前線”風トークバラエティ』 」

そう、バラエティなんですね。番組は池上の司会で極めてマジメに進行。しかし最近取り上げた企業というのが「○っぱいプリン」のメーカー、過激下着メーカー、ドジョウすくいグッズメーカー、目の付け所が半端じゃない。真顔の社長と真剣な商品開発風景リポートがあくまで“企業最前線「風」”なのだ。怪しげな企業に怪しげな社長。今週のドジョウすくいグッズメーカーの社長も海から上がってきた何か的な人物。これまでの業績は「箱根八里の半次郎セット」「佐渡おけさセット」「白虎隊セット」、いずれもコスチュームにレッスンビデオ付き。今後は「パラパラ音頭」セットを発売し流行らせたいとの事。表題の「オレがやったらタコ踊り…」は社長がパラパラ音頭の実演をした時のコメント。文字通りタコ社長ははにかみながら世にタコがドジョウをすくう的な一発仕掛けようとしている。(だからドジョウすくいセットなのかと妙に納得)
今後も「企業の扉」から目が離せない。

2000年11月11日 「山師・ペテン師・詐欺師」
 世間を騒がせてますね。あの男F、エンタティナーとしては取材カメラの目の前で発掘とか仕込み万全でオモロイんだけど、でも責任が重すぎた。学問であり研究でありなんでもそれは社会的にも責任がある。なにせ今回は日本そして日本人の歴史、歴史学・歴史教育を超えアイデンティティーに関する問題にも係ることであり、一研究者もとい山師の功名心によってそれが大きく破壊されてしまったのだ。このニュースは海外にも伝わり、某国では「なんでも歴史を美化したがるニッポン」と宣伝されてしまう始末。私たちにとっての今回の問題は日本国の歴史を美化しようとしたかどうかでなく、一介のペテン師の浅はかな功名心が何ゆえこういった重大な研究の場に入り込むことが出来たのか、という問題ではないか。
 問題の原因は考古学研究界の現状と自治体の思惑あたりにあるのではないか。考古学の世界は専門教育や百の研究実績よりも一の発掘成果なのだろう。それは学問の特性上致し方ないこととはいえ、専門教育を受けないものが研究の一線に出てこれるという事は、教育の過程や研究の結果によって学問上の倫理観や方向性が培われない可能性もある訳で、学閥というような閉鎖的環境は問題だが、考古学研究の世界の現場でも自己規制やチェックの精神がなくてはならないだろう。
 自治体の思惑というのは、考古学というか遺跡などを町おこしに活用している自治体の姿勢の有り方の問題だ。考古学の成果を町おこしに利用する事は経済的振興面だけでなく、歴史教育や郷土世界の再構築といったことからも有用ではあろう。しかしそうした姿勢が、発掘という不確定要素の強い作業に目に見える結果を強いる結果となり、ああいった山師的な「発掘屋」を跋扈させた原因にもなったのではないだろうか。土屋埼玉県知事は「日本の恥」だと言い、私もまさにそのとおりだとも思うが、自治体の文化行政に対する考え方を見直さねばならない面もあるのではないだろうかとも思う。
 名誉心や近視眼的な保身によって自ら・自分の家族そして日本社会全般にその害を及ぼすこの構図は、大企業のバクチ的投機の末の倒産、官僚と学者との利害的癒着に起因する薬害エイズに代表される人災、この世紀末日本に多く目に受けた。誰しも大なり小なり組織に所属した個人な訳だが、自分とそして自分の属する組織がどのような責任・義務が課せられ、利益の背後にはどんなリスクがあるのかをしっかり見据えたいものだ、と今回の事件を見て考えた。

2000年11月10日 「31980歩」
 出張から帰りました。合計31980歩、名古屋を歩いてきました。業務で行ってきたわけですが、味噌煮こみうどん、美味かったです。街行く女のコがかわいかったです(確か名古屋出身のアイドルが多かった時期もありましたね。そういえば名古屋出身の高校の先輩の妹さんもかわいかったナ)。博物館の図録たくさん買っちゃいました。心残りは日程上の都合で徳川美術館に行けなかった事です。でもまあご当地の人々には良くして頂いて、なによりなにより。今度は私用で行って徳川美術館と犬山城と櫃マブシを体験してきたいです。
 31980歩、一日平均10000歩、二日目は朝から晩まで同行のお二人と全く同じ行程だった訳ですけど、何故か1000歩も私の方が多かった。こいつはつまり私の歩幅というか足の長さが……ってコト?(ちなみに3人ともほぼ同じ身長だった)

2000年11月6日 「8841歩」
 昨日万歩計を入手。早速今日一日装備の結果が表題の通り。今日は午後からデパートや本屋で買い物したり学校の図書館に行った程度なのだが意外と歩数を重ねているものでビックリ。この万歩計、同時に消費カロリーも表示される優れモノ、見ると9000歩近く歩いたのに345kcalしか消費していない。今飲んでいるファンタグレープのカロリー表示が49Kcal、そんじゃ昼に食ったてんやの「エビ穴子天丼+エビ天一尾+追加ご飯」なんかどうなっちゃうんだろうと驚愕。男25歳にして初めてカロリーに興味を持つものの、日頃の食生活・運動不足を振り返ると……な、侮りがたし万歩計。

2000年11月6日 「おらシンノスケだゾ」
 今日ワタシの母校野球部の捕手が讀賣を逆指名したそうだ。ちょうど母校の図書館に行っていたが、そのキャンパスの一角では逆指名会見があったわけだ。ここ数年わが母校からは巨人やヤクルトなどから下位指名で球界入りはしていたが、今回はドラフト1位指名の予定だそうだ。まあ野球部も寸でのところでリーグ二部落ちも回避し今回の指名といい事なのだろうが、言ってしまえば讀賣は捕手の墓場だ。ここ10年で獲得した捕手は新人・移籍問わず十指に余りあるが一人として大成せず(一人はお縄を頂戴してしまったし)、15年以上前に入団した村田が孤守している状態だ。その村田も伊東・古田・谷繁らよりも捕手としての評価は低い。そういった捕手技術のノウハウや経験のレベルが低い球団を選んでしまった事が非常に惜しまれる。ヤクルト・西武は古田・伊東の後継者を欲しており獲得にも動いていたからなお更である。そんなに讀賣が良くても今すぐ行く必要はないのだ。例えば西武だったら伊東ももう40近く来季はコーチ兼任のような形であろうから出場機会もあろうし、またヤクルトは若手の育成に関しては素晴らしく、そして両球団とも球界一流の捕手の技術を盗む機会が多いのだ。FA資格は今よりも短くなり5年程度になるであろうから、2年目からレギュラー定着で技術と経験を積んで油の乗り切った28か29歳でFA移籍で讀賣でもなんでも行けばいいじゃないか。幸い工藤・桑田といった捕手を育て得る投手が居るのが救いだが、その捕手が一軍定着する前に彼らが引退・移籍といった事がないようにして欲しいものだ。
 
2000年11月6日 「ホワイトゲートフェスティバル」
 先日母校の学園祭に行ってきた。相も変わらずマイナーな招待芸能人に食いモンと酒の模擬店の目白押し、でもフリーマーケットが増え女の子がオシャレになって来たのが我々の時代からの変化といえば変化かもしれない。そんな中ワタシが毎年行っているバーに行く途中のエレベーターの中で、行商の男女の男の方から「このコかわいいでしょ。このコに免じて買ってくださいよ。」って。なんか水っぽいフレーズだったけどそういう軽いフレーズを言っちゃう男子学生にも言わせちゃうだけカワイかった女子学生にも、わが母校の変化を感じてしまった。あっそうそう、カクテルは相変わらずおいしかったです。

2000年11月4日 「ヒヤヒヤ ノウノウ!」
 昨日は町田市にある自由民権資料館へ「語りの近代−演説会・討論会・懇親会−」展を見学に行った。担当の学芸員はワタシの学校の先輩なのだが、折角予約してもらった講演会には遅刻してすべて聞くことができず申し訳ないことをしたのだが、ワタシにとっては非常に参考になり面白い展示内容だった。
 自由民権運動の頃から多く開催された演説会が、近代日本における言語文化に寄与した役割や、どういった思想や人々に支えられどのようなまなざしを受けていたか、そういった展示する側の意図や工夫を感じさせる構成だった。詳しい内容については下手には書けないので略すが、今回の展示のテーマ設定と展示資料の選定と構成の見事さに感服させられた。テーマの意図性、地元への配慮、構成の工夫、学芸員の端くれとして非常に勉強になった展示だった。

2000年10月7日 「郷土の歴史を語るモノ」
 表題の「郷土の歴史…」はワタシの母校の小学校の校歌の一節である。今ふと思い出したフレーズだ。最近筆者はその「郷土の歴史」を考えたり感じたりできる事があったりしてちょっと楽しい。日頃身近に通ったりしている空間や場所が往時にはこういう事があったとかこういう意味があるのだって事が分かったりする事がちょっと嬉しい。日頃の生活や研究としての歴史に於ける意味からすればとるに足らない事でも、空間を通じて歴史を想像出来る事が今ちょっとした幸せだ。
 例えばワタシの通っていた幼稚園が「明の沢学園」ほにゃらら幼稚園だったのだが、この明の沢という名は大字でもなく字ていどの地名からとったものであるそうだ。この明の沢は新田義貞が小手差ヶ原と分倍河原で幕府軍と戦うのに先だって着陣した所だったという事を最近知った。そういった事実を知ると、なるほどその明の沢あたりは大軍が陣を営するのに適した広大な平地(現在は畑と住宅地)であり、多摩川が削った平地が小手指・分倍河原に繋がっている事がよく分かる。その明の沢のワタシが通った幼稚園の脇を通る細い道は、現在もワタシが通学・通勤に利用しているが、その道は鎌倉街道の支道で新田軍も進軍していったらしい。その事はワタシが毎日渡っている橋が新田橋という名にも残されている。またワタシの家から一番近い神社は、新田義貞が明の沢に着陣した折に飛竜の神の加護を得たことから、戦勝後の帰途に建立したという謂れがあるという。
 これらの話は「太平記」の記述によるものもあれば地元の伝承も多い。しかし出身の幼稚園の名から出発して、身近な世界に歴史像を展開できその傍証を出来る事は非常に楽しい。また市域内で戊辰戦争の支戦である上野戦争や飯能戦争に破れた幕府軍の残党が斬られたと言われる地にはそれを記す碑があるが、その地点ではその霊がもたらすのか交通事故が多いとか、そういった現在の生活にも歴史が息づいている事を感じられる事もある。史実であるかどうかは兎も角、空間と歴史の繋がりを発見したり想像できる楽しさも歴史の豊な悦びの一つなのかと思ったりする今日この頃である。

2000年10月6日 「夕食バンザイ」「食べる前に飲む」
 未だ両親と同居の筆者だが、最近は週1回は夕食を作っている。今日の献立は鯖の味噌煮・天然ブリの刺身・大根の葉と椎茸の炒め物だった。これまでのレパートリーがカレー・シチュー・ポトフといったただ煮ればなんとか食えるモノができる系やパスタ止まりだった。最近は里芋や蓮根の煮物や魚の調理にチャレンジしている。「和」は難しい。ちょっと味付けを間違えたり煮すぎると「醤油煮」や「砂糖炒め」と化してしまう。誰か簡単でしかも美味しいレシピを教えてくれないでしょうか。
 田代まさし、馬鹿だねえ。あの事件があって田代に注目してテレビを見てるとかなり露出多い人なんだね。昨日(ダウンタウンDX)も今日も(バカ殿)にも出てて、どちらでも田代が写るたび「これは2000年×月×日に撮影したものです」とテロップを出していて、大変だねテレビもと思った。
 そのテレビだがここ数日「北の国から」ネタが多くて嬉しい。「さんまのまんま」スペシャルでは岩城滉一とコロッケが五郎(田中邦衛)のマネ、ダウンタウンDXでは勝俣が富良野の五郎の家に行った写真を披露して、そして今ウンナンの番組(ウリナリ?)で中嶋朋子が番組に登場してウッチャンとキャイーンとオセロの黒いほうが「北の国から」のパロディーをやってたりしている。「北の…」ファンとしては非常に嬉しいここ数日でした。

2000年10月2日 「五輪は楽しかったねえ」
 シドニー五輪がおわっちゃった。田村・野村・滝本ら柔道、中村・田島・田中ら水泳、伊東・室伏ら陸上競技、マラソン、サッカー、野球、ソフト、ビーチバレー、スポーツ観戦三昧でした。お陰でちっとも更新進まず。なんといっても高橋尚子は凄かった。実力どおり・期待通りと言うは易しいが、実力者が実力を出し切る事はこんだけ凄いのか、いやいや言葉にはしがたいが、高橋は凄かった、ホント凄かった。
 まあ色々言うと長くなりそうだから五輪の総括はまたいずれ。ああ楽しかった。
 来年は奇数年、五輪もW杯もなくて開催国だからサッカーW杯地区予選もない。次のビッグイベントが楽しみだ。


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